村上海賊の娘 和田竜 上下巻 本屋大賞を取った本です。
この本の中に登場する織田側(豊臣側)の眞鍋一族は、分家にあたります。そして
ほとんど登場しないのですが 毛利側(村上水軍)にも 眞鍋一族は存在し こちらは
本家(瀬戸内海 岡山県笠岡市眞鍋島)を本拠地にする一族です。私の先祖は、香川県三豊
市仁尾町に 親父の実家があります。つまり 私は毛利側(村上水軍に所属する眞鍋島周辺
をなわばりにする眞鍋一族の末裔になります。)歴史上は、毛利に所属する村上水軍の衰退
とともに、眞鍋島を納めていた眞鍋水軍も衰退したようですが、織田、豊臣、徳川の天下に
なりましたが 分家の織田側に就いた眞鍋一族は、栄え 広島城の城門の責任者にまで
なったようです。城門の名前も残っており「眞鍋御門」と呼ばれていたようです。
場所は、広島市中区本通り4丁目 広島アンデルセンの交差点付近で 交差点の真ん中に
「眞鍋御門」という石碑が、埋め込まれています。悲しいかな 眞鍋一族は 戦国時代は、
本家と分家に分かれて 毛利軍と織田軍に所属し 戦ったことになります。ただし 結果的
には 私が生きているということは、毛利軍にいた本家の眞鍋一族もなんとか生き残った事
が、選択として正しかったのではないでしょうか。眞鍋の先祖は約500年前に、現在の広島市
中区本通4丁目15番地付近(むすびのむさし本通店)に住んで 広島城外堀の眞鍋御門の責任
者をしていたのでしょうね。約500年も前に このあたりを 先祖が住み、歩いていたかと思
うと500年前を想像し 愛着が感じられます。
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